都落ち女子大生の日記

都内の大学に通うも体調不良により就職活動中断、1年の休学を決断、そして田舎へ帰るのであった。

稚拙な人生メモ

あなたにとって「生きる実感」とは?

という一文を目にして思わず考えてしまった。今日はなんともやる気が出ずほぼ家にいたのだが、思いつきで借りてきた本にこんな文章を発見した。生きる実感と問われて、思わず現在進行形の今の生活を振り返ってしまう。

朝起きてもやることがない。さて今日は何をしよう?朝ごはんを食べながら考えるが思いつくのは、映画を見るとか動画を見るとか本を読むとか、今までの行動の繰り返し。眠くなったら寝てしまうし、外に歩きに行って太陽にあたると疲れてしまう。調子のいい日は何時間も勉強していられるけど、なんとなく調子が出ないときは気づいたら夕方五時のチャイムを聞いている。最近は資格勉強を生きる理由としてすがっているような日々。資格取得のために頑張る人、というフレームが落ち着く。本当に生活というのはとてつもなく平凡で退屈で変化のないものだ。それを毎日繰り返していたところで、私にとって休養になっているのだろうか?そもそも休むとはどういうことなのか?私は何のために休んで、その先に何を目指しているのだろうか?

何もしないことは悪いことではない。何もしていなくても誰にも迷惑をかけないし、益にも害にもならないなら別にいいだろうと思う。だけど私はこの毎日に焦りや罪悪感、申し訳なさを感じている。

来たる就活のために、職を得るために、自立するために、今何かをやるべきである。親からもそれとなく催促される。今は時間があるから前より考えられるね、と。しかし特にやりたいことや目指す先がない私にとっては最初の一歩すらどうしていいかわからない。右に行くのか左に行くのか、人に会うべきか勉強するべきか、今はまだ待つべきか明日から行動すべきか。

先日友達がバイトをしている居酒屋さんにその友達と行った時、常連さんにこんなことを言われた。

「やりたいこととか、なりたいものがはっきりしてないのに、そんな賢い大学に入る気持ちがわかんねえなあ」

「俺らには選択肢が無くて、しょうがなくでも行ける道を選ぶしかなかったけど、エリートの人達は選択肢がありすぎて逆に困っちゃうんだろうね」

「エリート出身が、こんな田舎の事務員でいいのかあ?」

彼らの言葉はたしかにわかる。予想外の言葉では全くない。ただ人から直接言われたのは初めてだったかもしれない。

大学に行く意味は人それぞれだろうけど、しっかりと目標や目的をもって行く人もいるだろう。だけど私には高校時代そういうものがあったかと聞かれると無かったと思う。志望動機や勉強したいことを聞かれたので、絞り出して考えたものはあったし、用紙にそれらを記入している時は本当にこれをやるんだと思っていたような気もするが、入学した途端に忘れてしまった。進学校で求められることなんて得点の高さと内申点だし、それらをクリアすることが高校生の任務であり、将来の夢のために頑張れ、何かやりたいことを見つけろなんて、先生たちにいわれたっけ?なんかの集会で、「将来のために今頑張りましょう」と言われた気がするが、いまいちピンとこなかったし、先生たちがよくいう決まり文句のようにしか聞こえなかった。

小中でも私は特に大きな夢をもったことはなかったと思う。英語が好きだから漠然と海外に関わりたい、ホテルマンもちょっといいかもな、その程度。それも一年、二年の短期間で浮かんでは沈んでいった。もともと特に将来に興味がなかったのかもしれない。正直今もそんなにない。友達に

「30歳くらいで死んでもいいかな〜と思ってるよ。来世で頑張ります!」

と言ったら、

「お前本当にそうなりそうだから怖いぞ」

と言われたので、やっぱり周囲からも生への執着は感じられないようだ。

でもそう思ってしまってごめんなさい。毎日死んだ目で過ごしてごめんなさい。問いかけに返事をしなくてごめんなさい。与えてくれた愛情に見合わずごめんなさい。無駄な心配をかけてごめんなさい。と思って暮らしている。毎日嫌でも顔を合わせる家族に向かって。そして自分に対しては何も感じなくなった。

「いやー、本当に感情がないんだよね。たとえ楽しい嬉しいと思っても、この人とこういう所で話ができるって、つまり幸せなことだよなって理解してわかる。感覚じゃ無くて。だから毎回言うけど浮ついた話も特にないよ。」

「え、でも大学入って付き合ってたよね?それはどうだったの?」

「んー、どうだったんだろ…とくになにも…」

「おいおい……お前に彼氏ができたら泣いて喜ぶよ…」

地元の友達との話はいつもこんな感じで終わるし展開も何もない。毎回毎回なんのご報告もできず申し訳ねえとは思っているし、できた途端に速報でお知らせしてやんよとは思っているが。

先の居酒屋では近くの飲み屋でママをしているとても綺麗な女性とも出会った。とっても若々しく見えるのだが、すでに大きくなる息子さんもいらっしゃるようで驚いた。「お前、ママにどうやったらモテますか!って聞け!」と半ば強引に席を譲られママさんの横へ。そっくりそのまま「どうやったらモテますかね…」と聞いた。

「お化粧したらもっと可愛くなれると思うし全然大丈夫じゃない?」

「いやー、アトピーが酷くて休学しまして、あんまりお化粧できないんです…」

「でもそんなに目立たないわよ?そのままでも大丈夫。かゆみって辛いわよね…私も日光にあたると湿疹がでてきちゃうのよ。」

そこから漢方の話になり、休学の話になり、将来特にやりたいこともない話になり、ママの不思議なパワーによってかわからないけど、即席人生相談会になっていた。

「なんだか気持ちだけ焦ってしまって…体もありますけど気持ちがないというか…」

「焦ってもいいことないわよ。だから今はそのままでいいの。神様がそうやって言ってくれてるんだと思う。おやすみすべきタイミングって人それぞれだもの。」

モテの技は聞けずじまいだったが、こちらがかけてほしい言葉をかけてくれたママさんにはとても感謝感激の時間であった。やはり人生経験が違うのだろう。

「休んでいいのよ」と言われるたびに、「そうですね」と返して、心の中では『そんなことない、休んではダメだ。言い訳を探しているだけだ。』と自分を諭す。

そんな繰り返しにももう疲れたし、いつまでも自分を許すこともけなすこともできずにいるのがもどかしい。

考えることも練習が必要だ。私には将来のこと、自分のこと、周りのことを考えることが圧倒的に足りていない。そのための練習も足りていない。水を吸うことのないスポンジのように中身は空洞で形だけ保っている。水を注いでくれる人や経験もあるのだがそれを吸収できずにいる。いつかは干からびてボロボロになっていくんだろう。

後から振り返って、今のこの時間がとても豊かな時間だったと、恵まれていた、たしかに生きていたと思える時が来るのかもしれない。しかしそれは今より辛いことが起きているからだろうか?それとも今より明るく過ごせているからだろうか?

またこんな文章を書くことで考えることから逃げているのもわかっているけど。

記録というよりただの発散の文章。

20181009