都落ち女子大生の日記

都内の大学に通うも体調不良により就職活動中断、1年の休学を決断、そして田舎へ帰るのであった。

日曜日、娘からみる母について

 

 

台風一過の日曜日。寝ている間に雨と風は止んでいた。

8時ごろに起きると散歩(ポケモンGO!)から父ちゃんが帰ってきていた。

口角が少し上がっているのでどうやらご機嫌らしい。よいハンティングができたようだ。

 

「公園の木が倒れて警察が来てたぞっ」とすこし興奮気味に話す様子を、

漢方やっぱおいしくないわ~!と思いながら話半分に聞いていた。

 

 

日曜日は父ちゃんがソファの一角を占拠して撮りためた海外ドラマや映画を見る。

雨が過ぎて青い空には入道雲が浮かんでいる。浮かんでいるというかもくもくぶくぶくと湧き出ているようだ。ずっと家にいるのも飽きるし、写真を撮りに行くという母と共に外出することにした。

 

 

 

駅の南側まで車を走らせ、ちょうどよいところで駐車。少し寂れた街並みを母が思うままにシャッターにおさめる。私は日傘をさしながら、歌いながら、ふらふらと母についていく。だけ。

居酒屋びぎん というお店を見つけたので「恋しくて」を歌ってみたりとか、人とすれ違う時は少し声のボリュームを落としたりと、気ままに歌っていた。

人ごみの都会だとできないので気持ちいい。

 

スマホで撮るのもいわゆるカメラで撮るのも写真を撮るという点では同じことなのに、

カメラで撮るほうが見た目としてはかっこいいよね。

やっぱりレンズをのぞき込んだり、シャッターを押す姿も含めて写真を撮るということなんだなぁと炎天下の日傘の中で考えていた。

 

 

 

何もしていないのに暑いというだけで体力は削がれる。

2,3か所を車で回ったが、あつい!おわり!という母の言葉で撮影終了。

 

 

近くのお蕎麦屋さんで遅いお昼ご飯を食べ、母行きつけの喫茶店へ。

お互い映画が好きということでいつだかマスターと仲良くなったらしい。

 

カウンターと背の低いテーブルが4,5個並んでいる。少し狭いが渋い茶色の落ち着いた店内。メガネをかけポロシャツを着た30代の若いマスターが出迎えてくれた。

テーブルの横にはおそらくマスターが好きなあらゆる種類の本が並べられており、

ムーミンの名言集とか三大宗教の秘密!とか、題名を眺めるだけでも楽しい。

 

 

 

ここの喫茶店で飲むアイスコーヒーが一番好きだと母は言う。

氷がいっぱい入ったグラスと小さなカップに入ったコーヒーが運ばれてきて、

「説明おねがいします~」とマスターは初めて来た私への説明を母に任せた。

 

「まずはお砂糖をスプーン1杯くらい入れて…」と母は律儀に説明しだす。

普段母も私もコーヒーはブラックで飲むし、甘い飲み物はあまり好きではないのだが、私は新参者ですので喫茶店のスタイルを尊重させていただきやすと母を真似する。

 

 

スプーンでカラカラとかき混ぜ砂糖を溶かしたら、氷いっぱいのグラスへコーヒーを注いでいく。こぼさずに注ぐのが難しい。ただ自分でつくるアイスコーヒーってのは珍しいし楽しいな。氷が少し解けつつ全てのコーヒーが注がれたら、ここオリジナルのアイスコーヒーが完成。

 

ストローでつーと飲んでみると、ほのかな甘みと苦味がちょうどよくてすごくおいしい!よく行くド〇ールとは比べ物にならない!しっかりコーヒー豆の味がするし、ほんの少しの甘みがそれをさらに引き出していて、砂糖もたまにはアリだなと思った。たしかに他とは一味違う。

 

 

 

その後は母の仕事や趣味の話、愚痴なんかをぽつぽつと話す。

私は主に聞き役で、「そうだねえ」とか「それはこうした方がいいんじゃない?」とか娘らしく相槌をうつ。私はあまり話す話がないので気づくと聞き役になっていることが多い。

やっぱり自分の話をするのは苦手だなぁと思う。相手が母だからというわけではなく、自分の話をする、自分の考えを話すという習慣や機会があまりなかったからかなぁと、就活の時期に見よう見まねでやった自己分析による結論を思い出す。どうでもいいことはいくらでも喋れるんだけどなあ……まぁわざわざ話すこともないけど……

 

 

 

母も私も喫茶店が好きで、東京でも純喫茶巡りなんかをした。映画や本も好きだし共通点が多いほうだと思う。昔から仲はそれなりによかったが、今は少しだけ母への思いに変化が起きた。

 

高校時代までの私にとって、母はまさに「母」であり、当たり前のようにご飯を作って洗濯をして送り出してくれる、皆が同じようにイメージする母親であった。

もちろん一緒におしゃれなご飯を食べに行ったりショッピングをしたり、たまには深い話をすることもあったが、ある意味「半永久的」に「不変」または「普遍」である存在だった。いつでも母は強く厳しく優しいというよくあるやつ。いつまでも変わらないと疑わないような。

 

しかし大学進学と共に実家を離れ、心理的にも物理的にも一定の距離ができると、

母もやはり一人の「人間」なのだなという当たり前のことにふと気付く。

仕事に行けばいいこともあれば嫌なこともあって、喜ぶこともあれば悲しむこともある。私が母に見せない姿をたくさんもっていると同時に、母も私が知らない姿をたくさんもっているんだと知る。

 

それは久しぶりの帰省で久しぶりに対面した母から垣間見える曇った表情であったり、今まで聞かなかったような家族や職場の話であったりと、母が意識的にも無意識にも見せる「ゆらぎ」や「隙間」から感じるものであった。

 

 

それは距離ができたから気づけるようになったことだと思うし、一人暮らしの経験から当たり前のありがたみを痛感したからだ。母が「母」である時間しか知らず、他の面なんて最初から存在もしないように考えていた長い学生時代を考えると、やはり実家を離れて生活してみるというのは貴重で重要なことだなと気づく。

 

 

娘としてではなく、私も一人の人間として対等に話ができるようになったと、

母から認められつつある結果でもあるのかもしれない。

そしてただ無口な末っ子であった自分も、少しは大人になりつつあるのかもしれない。

というか、はやくならなければならないんだ、と言われているのかな。

 

 

まあそんなことを最近は考えるようになった。

今日もアイスコーヒーをすすりながら。頭のすみっこで。

この時点で全ての神経を母の話に注げていないところがまだ子供かな~

 

 

茶店ではアイスコーヒーの他にプリンも注文した。

弾力がしっかりあってホイップクリームがちょこんと乗っている昔ながらのプリン。

 

薬局のウーマンに「和菓子のみ!」と言われたのは記憶に新しい。しかし禁止されているものも一生食べないでいることはできないし、久しぶりに食べたら体がびっくりしてまた一気にかゆくなるかもしれない、という母の考えのもと少し制限はゆるくなった。

パンも全粒粉や雑穀のものを選んだり、ヘルシー志向のスイーツを買ってきてくれたりと、ストレスがなるべく少なくなるよう気遣ってくれている。ありがてえありがてえと思いながらプリンを3口くらいわけてもらった。うまし!

 

 

帰り際に最近見ておもしろかった映画をマスターに教えてもらい帰路についた。

今度は友達と来たいな、落ち着ける喫茶店

 

 

毎日が日曜日みたいなものなので休日もなにもないのだが、

日曜日らしい気の緩んだ1日を過ごせてよかったなあと平凡なことを思った。

灼熱地獄の甲斐あってか顔と首も徐々に治りつつあるし、この調子でいけたらいいな~

 

 

 

 

 

20180729